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やって見せる~先生は女優?

保育園の中の話

先日卒園した「みかれゆきか」たちのひみつの計画決行日、こびとのわたしは、地元のおばちゃんの姿で(あ、それは素の姿ってことですね())重富海岸へ先回り。そこへ楽しそうにやってきた子どもたち。素の私を知らないはずの3,4歳児さんの中に、「こんにちは~」と声をかけてくれる子どもたちがいたのです。わっ、かわいい^^。のどかな海辺で思わずときめくこびと。やっぱ嬉しいよね~。

そして偶然にも耳にしたのです。数日前、ひより保育園で挨拶劇場が繰り広げられたとか、られないとかいう噂を。

伊藤さおり先生は、ある園児の母親の「うちの子、人からこんにちは、と挨拶されても知らんぷりしちゃうんです。挨拶ができない」という言葉が気になっていました。そういえば、ほかにもそんな子たちがいるなぁ、これはいいきっかけかもしれないと、朝のおあつまりで、「みんな挨拶できてる?」と問いかけることにしました。

そこにちょうど通りかかったのが純平園長です。「園長先生、お父さん役をお願いしま~す」とスカウト。さらにもう一人の先生を「お母さん役をお願いしま~す」とスカウト。さおり先生は、恥ずかしがってお父さんやお母さんの陰に隠れちゃったり、小声でしか言えない園児を熱演(?)したのです。その様子に笑い出す子どもたち。もちろん、気持ちよく挨拶する園児にもなってみせましたよ。

「知らんぷりされたらどんな気持ちになる?」「みんなはどっちがカッコよく見える?」などと問いかけると、子どもたちからは、「知らんぷりされたら悲しい気持ちになる」「ちょっと怒った気持ちになる」「ちゃんと挨拶してるのはカッコいい」などの反応が。

そして、「今日帰るときからできるかな?」との問いかけに大きくうなずいた子どもたち。お迎えの時間になると、先生たちを探して、「さようなら」と言いにきてくれる園児が続出しました。重富海岸で挨拶してくれたのも、その効果だったのかもしれません。

何かを子どもに教えるとき、大人はついつい言葉で説明しがちですが、さおり先生が心がけているのは、「こうしなさいという言葉は使わず、やって見せる」ことだといいます。

こんなこともありました。園庭で赤ちゃんから5歳児までが遊んでいると、築山の上から、おもちゃのバイクを勢いよく滑り落として遊ぶ園児がいたのです。思わず「危ない!」と声を上げたさおり先生でしたが、誰も怪我をしなかったのは幸いでした。

そこで先生がしたのは、その子を叱るりつけることではありませんでした。小さい子たちが室内に入った後、みんと組さんたちを築山の下に座らせ、先生が、バイクを滑り落として見せたのです。

口々に「あぶな~い」「ダメだよ~」と声を上げる子どもたち。バイクを滑り落とした子どもは、危ない!と叫ばれたときにはピント来ていなかったり、内心では「やっちゃったな」と思っていたり、「だって面白いんだもん」などと思っていたかもしれません。でも自分でもヒヤッとする事実を目の前にすれば、落ち着いた気持ちで受け止められただろうなと思うのです。

「やった子どもを責めたり叱ったりするのではなく、先生方が出来事として扱ってくれることがありがたいです」と純平園長。誰ができて誰ができないという評価を示す場としないところが素敵。客観的な出来事として抽出して見せれば、子どもたちが考える。日々の中に小さなピンチとチャンスが転がっています。

編集こぼれ話

前田真理
感情的に発した言葉って伝わらないものですよね。そのひとことの前に深呼吸って大事。
「でも、やって見せるのは、すぐです。そうしなきゃ子どもたちはあったことを忘れてしまいますから」とさおり先生。ハハハ確かにそうですね。
「事件・課題の発見→深呼吸して演技→子どもたちに考えてもらう」さらりとこのサイクルに乗せれば、イライラ、モヤモヤが減り、保育や子育ては、もっと朗らかに軽やかに回りそうな気がします。